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第5章:現代チェコ 印刷 Eメール

ビロード革命

ヤケッシュ共産党元党首「プラハの春」自由化挫折の後、人々の理想とそのエネルギーは失われたようにみえた。多くの人は意識的に政治から目をそらし、絶望も期待せずに自身の生活向上に力を注いだ。しかし共産党体制がどんなに弾圧したとしても人間の心の自由までもは抑圧できなかったのは事実である。1977年、自由を奪われた体制に果敢に抵抗する、知識人の地下組織グループ「憲章77」が発足され、人権を守ろうとする運動が続けられた。劇作家ヴァ-ツラフ・ハベルはその発起人であり、スポークスマンである。一方、表だっては参加しないが、反体制グループに属し、文化活動を黙々と続けたインテリ層、亡命しながらも国外から反体制派として、小説、音楽、映画、芸術で表現したその力も多大である。1989年11月学生デモへの警官の暴行がきっかけとなり、デモ隊は益々膨れ上がりプラハには70万人の市民が参加。抗議が激しくなるのをおさえきれないとみたフサークは、共産党員以外で構成した新しい内閣を任命した。事実上、共産党政権は国民の手によって民主主義を勝ち取られたのである。そして「憲章77」のハベルを中心に、民主化を掲げる学生、文化人、あらゆる市民グループで組織された「市民フォーラム」が結成された。翌12月デモとストライキが続き、フサークは辞任、1989年12月29日国民の圧倒的支持を得て、ハベルが大統領に就任した。ついに共産党政権を無血で倒したこの解決は、ヨーロッパでは「ベルベット革命」、日本においては「ビロード革命」と呼ばれる。

ハベル元大統領ハベルは1936年裕福な家庭に生まれる。祖父は多くの建築を手がけた実業家、プラハのブルタヴァ川から見上げた高台にあるレストラン「バランドフ」、チェコスロバキア最大の映画撮影所、ルチェナ劇場など数々の建築物を所有していた。幼少の頃は家庭教師、使用人に囲まれ、まさにブルジョア階級の生活であったが、1948年、共産党が独裁体制を確立したと同時に、ハベル家の財産は国に没収された。教育の自由さえも奪われ、ブルジョアに生まれたがゆえに厳しい将来が待っていた。夜学で大学の入学資格をとるが希望の芸術アカデミーには入学拒否され、工業大学に進むが中途、兵役に服する。劇場舞台技師として演劇の世界に入り、通信教育でプラハ芸術アカデミーの演劇科を卒業、劇作家になり活発に活動を始める。しかし独立作家同盟に参加し、政府から反共産派のレッテルを貼られ、彼の作品は上演禁止。それにも屈せずに「憲章77」での活躍で、盗聴、監視、逮捕、投獄など厳しい抑圧を余儀なくされたハベルは、人間の自由について最も深く考えた政治家といえる。国民が待ち望んでいたチェコスロバキアの民主化改革は、いよいよスタートした。企業の民営化、外国資本による投資、私有財産の返還、経済の自由化と、共産党体制が残していった負の遺産を回復させて行くのには問題が山積していたが、旧東欧諸国のなかでもチェコスロバキアは着々と改革を進め自由主義経済への移行に成果をあげている。

チェコ共和国

クラウス大統領ゼマン元首相1993年にチェコとスロバキアは分離。日本では現在においても「チェコスロバキア」といったほうがなじみやすいかもしれない。しかし、もともとチェコはオーストリアの支配から、スロバキアはハンガリーの支配から独立しようとして、同じ民族意識で結託して誕生した国家である。それぞれ別々の歴史を歩んできた上、経済の発展もまったく違っているボヘミア王国として、中世ではその栄華を極め、ハプスブルグ支配時には既に工業がヨーロッパの中で発展していた。対してスロバキアはハンガリー支配下に置かれ、農業のみにとどまっていた。両国間には経済の格差が歴然で、連邦国家としてまとまるには様々な問題が生じて当然であった。1992年スロバキアのメチアールは独立したスロバキア政府を作り、チェコスロバキア連邦議会も連邦解消に合意した。スロバキアは完全独立、分離し、ボヘミア地方とモラヴィア地方を領土とする「チェコ共和国」が誕生した。ODS党首のクラウスは早急に産業の民営化と銀行制度の近代化に取り組み、自由市場経済を活発化するために国際機関から融資も受けた。株式に引き換えるクーポンを国民に配布する「クーポン民営化」方式も行った。1998年選挙でCSSDのゼマンが首相になり政権交代となる。チェコは1999年NATOへの加盟を達成し、EU(欧州連合)への加盟交渉国となっている。外資導入による経済の立て直し、ロマーニ人の人権問題、企業の民営化など課せられた課題は多いが、経済の成長とともに国際社会への進出、生活水準の向上など近年めざましい発展を広げている。

21世紀のチェコ

paroubektopolanek21世紀に入るとEU加盟国としても政治も景気も安定期に入る。右派クラウスを引き継ぐトポラーネク、左派ゼマンから引き継ぐパロウべク。徐々に小さな政党の影響力は薄れていき、市民民主党と社会民主党の2大政党間での政権運営となっていく。2006年6月の選挙では定数200を左派と右派が、100議席ずつ獲得。両政党の勢力図はまったく変わらなくなってしまう。2009年5月からは無所属のフィシェルが10月選挙までの暫定政権をとっている。また2009年上半期EU議長国に就任したチェコは「障壁なき欧州」をモットーに掲げサミットなど重要な行事をこなし関係諸国とのつながりを強化している。日本との関係もパートナーとして重点をおき、温室効果ガス削減プロジェクトの交渉も活発だ。

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銃の代わりに花を差し出す市民(ビロード革命)

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プラハで最新のビルの一つ「ダンシング・ハウス」

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ヴァーツラフ広場にあった旧東ドイツ産「トラバント」自動車の像

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チェコスロバキアのビロード離婚後、チェコ・・・

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・・・とスロバキアのアイスホッケー
代表は好結果を維持しています。

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現在プラハの美しい時計台に魅了され訪れる日本人観光客は増え続けています。

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2009年上半期、チェコはEU議長国に就任しました。・・・・・・

 

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