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ブジェズ二ツェ城の始まりは、中世の小さな町の発達と、その商業地域の広がりに関連している。初期に発達した市場パッサウから、チェコに塩が輸入された黄金ルートである土地に、要塞だったものが、その後13世紀ゴシック様式建築として建立された。16世紀にはルネサンス様式のシャトーとして再建される。
何世紀にも渡る歴史の中で城主、著名人、貴族はブジェズ二ツェの歴史には欠かせない。ロマンチックな出来事など、豊富なエピソードで興味深い城の一つである。ルネサンス様式シャトーの復元の第一段階は、1548年~1551年のイジー・ロクサニーの指令のもとで行われた。しかし、その年イジーは急逝してしまい、すべての財産、続く建築の構想、管理、監督は彼の妻カテジーナによって引き継がれた。この頃、ブジェズ二ツェ城は、社交界行事の中心として普及し始め、人気が高まり、ハプスブルグのフェルディナンド公などが訪れるようになった。彼は城の所有者カテジーナの美しい姪、フィリピーナ・ウェルセルを見て一目で魅了された。そして妻として選んだ。しかしフィリピーナは単なる金持ちの家族にすぎなく、社交界の格付けは低かった。貴賎結婚とも非難された。その後のカテジーナは、社交界で問題視され、不評を買う場合でもあらゆる手段を使って、姪のフィリピーナのためにできる限りの手助けをした。
とりわけハプスブルグ家の栄華とその重圧は、普通の少女の荷に負えるものではないのは誰の目にも分かるものであった。しかしそんな心配はよそに、フェルディナンド公はかわいいフィリピーナに欲しいものをすべて与えていった。ブジェズ二ツェにて、王室祭司のもとフェルディナンドとフィリピーナの結婚式がひそかにとり行われた。ハプスブルグ家からの出席者は誰もいなかった。二人に子供が授かり、まもなくクシヴォラートの城へと居住を移した。プラハに程近く、チェコ領土を管理するのには適地であった。このころ皇帝に結婚や子供誕生の知らせは届いていたが、ハプブルグ家の権利は何もないように外されていた。フェルディナンドとフィリピーナはチェコを離れチロル城へと移り住んだ。
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